司会「本日はお越しいただきありがとうございます。よろしくお願いいたします。」
葛西「仕事の上では普段沢山しゃべっていますが、こうして小池さんと二人で人前で話すのは初めてで、恥ずかしいですが、すごく嬉しいです。宜しくお願いします。」
小池「こんにちは。葛西さんとはもう10年以上一緒にやってるんですけど、毎回いろんな刺激があって楽しくできています。今日もどんな話になるかわかんないですけど、多分色々膨らんでいくとは思います。」
司会「よろしくお願いいたします。早速ですが、パパタラフマラと葛西 薫さんのご縁は、もう10年以上ということで、これまでに13作品も手がけられているということなんですが、最初の出会いというのをお聞かせ願えますか?」
小池「出会いというより、最初は僕自身がパパタラフマラに合う良いデザイナーを探していて。いつも一緒にやっているが芸大のデザイン科出身のオブジェのデザイナーがいるんですが、その彼に話したら、「葛西さんいいんじゃない?」って話になって。それまではお名前は知ってたんですけど、それほど詳しく存じ上げなかったんです。でもたまたまそれと全く同時期に、『ル・クレジオのロドリゲス島への旅』の装丁を葛西さんがやってらっしゃいまして、その装丁が私自身とっても好きだったので、それから葛西さんの仕事を色々と気にするようになりました。それが非常に素晴らしく、「是非合わせてほしい」と思っていました。するとちょうど当時うち(パパ・タラフマラ)にいた三浦(宏之)の、お姉さんがサン・アドにいまして、彼女の方からも、是非一度、葛西さんとやらないかと思っているという話があり、トントン拍子に話が進んでいきました。」
司会「なるほど。お話が来たとき、葛西さんはどうでしたか?」
葛西「びっくりしました。とゆうのも、その頃演劇のポスターもそんなにやったことはなくて。パパタラフマラっていう変な、面白い名前の集団がいるってことは知ってたんですが・・。」
司会「ご存知だったんですね。」
葛西「ええ。申し訳ないんですが、見たことは無かったんだけど、興味を持っていたところに、ふいに小池さんがそうゆう訳でやって来られて、すごく嬉しかったです。僕がこのデザインをした頃、1968か69年あたりはアンダーグラウンドの劇、唐十郎やら寺山修司が流行っていて、よくは解らないけど僕も見に行ったりしてたんだけどね。その頃、横尾忠則って人が現れていて、演劇のポスターでがんがん面白いことをやってたんです。僕にとってそれはすごく刺激的な時代で、そうゆう経験思い出しましてね、演劇やパフォーマンスという、正直よく解らないもののポスターを作ることがすごく楽しみでしたね。会ったときにそう思いました。だから嬉しかった。僕のような所にこんな集団から仕事が来るってことがあるんだなぁ、という意味で驚いたんですよね」
司会「じゃぁお二人ともが、ビビッと来たわけですね。」
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