パパタラファイナルフェスティバル実行委員会からのことば

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佐伯 剛 風の旅人 編集長
個性とか自分らしさ等と安易に口にするステレオタイプが表現界や批評界に跋扈する中、30年間、ステレオタイプの停滞に陥らなかったパパタラフマラ。オリジナリティというのは、とてつもなく考え、神経を行き届かせ、身体を使い、心血を注いだ結果の出来事であると身をもって示し続けた。

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山下洋輔 ジャズ・ピアニスト
タラフマラ族という人々が本当にいて、どこまでも走り続けられるという。小池さん率いるこの創造の一族も、音と造形とアクションを巻き込んで、芸術の未知の領域へと走り続けてきた。現場で究極の表現が完成する瞬間のカタルシスは唯一無二のものだった。解散すると聞き大変残念だ。「ファイナルフェスティバル」での爆発を期待している。

yoshimoto_mitsuhiro吉本 光宏_photoby杉全泰.jpgPhoto by 杉全泰
吉本光宏 ニッセイ基礎研究所主席研究員
カンパニーとしての地道な稽古と強靱な身体性に裏打ちされたパフォーマンス、そしてダンス、演劇、美術、音楽の境界を縦横無尽に行き交う表現。パパタラの解散は、そうした芸術の存在を支えきれなかった日本の文化政策に対して、大きなNOを突きつけているのではないか。

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佐竹由美 オペラ歌手
パパ・タラフマラの舞台を見るのが楽しみだった。扉を開けた瞬間からそこには凛とした空間が広がり、神経が研ぎ澄まされていくような心地よい感覚に包まれた。パフォーマーたちの深く鋭い呼吸に自らの呼吸を合わせ、目に飛び込んでくる色彩や動きを視神経を360度広げて五感で捉えたいと思った。妥協のない舞台が好きだった。解散はとても残念ではあるが、それは31年目の挑戦であると確信している。

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八重樫みどり ストリングラフィ プロデューサー
1987年にパパ・タラフマラの作品に出会って衝撃を受けて以来、ほとんどすべての作品を見てきました。同じ作品を何回も見る喜びも味わいました。どの作品からも必ず感じるのは、「未来への希望」です。これからは、こんな時代だからこそ小池博史の持つパワーを様々な形に変え、特に子どもたちに伝えて行って欲しいと思います。

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川島恵子 プランクトン音楽出版代表/プロデューサー
パパタラの舞台には宇宙の重力が浮遊し、音が光と共に変容し、おもちゃ箱から人間が湧き出る。得体のしれないオブジェが生命を伴って襲ってくる。これは原始なのか、近未来なのか。小池博史氏の永遠の住処、舞台空間にはすべてが呼吸がしていた。そんな、何もが生きている世の中だと楽しいと思う。

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萩尾瞳 映画・演劇評論
「パパ・タラフマラ」が解散するなんて、本当に驚きです。常に、面白い切り口と新鮮な振付と素敵な美術で、楽しい舞台を見せてくれていたのに。独自のジャンルを確立していたカンパニーだけに、ずっと続いていくものだと思っていました。でも、きっと、これは新しい冒険へと第一歩なのだとも思います。