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ジョナサン・スウィフトという人物を知っているかな?
知っているとすれば、「ガリバー旅行記」の作者として、だと思う。これ以上、知っているとすれば、相当珍しい。この本を読んだことがあるとしても、多くは、子供の頃にコビト国に行った話くらいを記憶しているに過ぎないのではないか。

しかし、子供向け「ガリバー旅行記」ではない、本物の「ガリバー旅行記」を読めば、それが実に奇妙な、パラドックスだらけの、人間の見方が変わってしまうような本であることが分かるだろう。例えば、最終章、馬の国の話では、人間は最低最下等の種として描かれる。救いようのない存在として描かれているのだ。でも、スウィフトは本当にそう考えていたのかどうかは何とも言えない。けれど、明瞭に逆説に満ちた人間嫌いの人間好き、という姿は浮かび上がってくる。

だから、「ガリバー旅行記」を通して、奇妙奇天烈なジョナサン・スウィフトという稀代の偏屈者で純情可憐な男に興味を持った。冗談にもほどがある、と思えるような雑文やら詩やら、小説やらを書き綴っているのを知って小躍りしたのはずいぶん前、もう20年以上も前のことになる。よって、この企画もずいぶんと長いこと考えてきた企画ではある。加えてきわめて強く社会的なテーマを孕んでいる。

しかし、本企画を昨年、今年の作品として動かそうとしたが、どうも明瞭に像が結ばない。最初はふんだんに映像と影絵を使い、至るところに影絵が出、その上に映像が乗ったり、等身大の人の姿と影と映像とがリンクし合いながら、等身大の形に疑問符を投げかけていくような作品にしようと思い、それはそれでかなり面白くなるだろうと感じたが、次第に食指が動かなくなってしまった。なにか足りないという気分が支配し、止まってしまったのである。

そんなとき、グワーンとヤノベケンジのオブジェが頭を支配した。突然、なんの前触れもなく、ヤノベ世界とスウィフト世界の共通項を感じ、勝手に興奮してすぐにヤノベさんに電話をして、やりませんか?と聞いたのが、本企画の焦点が一気に像を定めた最初であった。

もうひとつ、この台本を書こうと、タイのビーチで書きだしたが、どうもうまくいかない。と、猫が寄ってきて、オレの足にまとわりついて離れない。猫ごときにジッと見つめられ続け、こちらの方がオドオドしてしまい、けれど、その目は何か強く訴えかけてくるような衝撃があった。この猫はどうってことない猫だったが、あんなに猫に見つめられたのははじめてで、そこでさらに大きな関係性が、猫とオレの間に結ばれたのだ。
これで、作品の大きな輪郭が形成された。

今は、才能ある素晴らしいアーティスト連中と、楽しい時間を共有しながら、作品作りを行なっている。
かなりスゴイものになること請け合いだ。
今からオレはグッフッフと笑っている。
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