パパタラファイナルフェスティバル ヤノベケンジ&小池博史スペシャルインタビューその2

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7月31日〜8月10日まで、流山市生涯学習センターにて開催された”パパ・タラフマラファイナル美術館”にて、現代美術家のヤノベケンジ氏とパパ・タラフマラ演出家の小池博史がトークイベントを開催。
今回、初展示となった、ヤノベさんの「ガリバー&スゥイフト」における舞台美術作品を前に、当時の制作秘話やお互いの印象、制作にかける思いなどを語り合いました。

その1からの続きです・・・ (その1コチラ

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intervew_img_kikh.jpg小池
舞台のものの考え方はとても集団的なんですよ。たとえば、三人姉妹では音楽家がいて照明家がいて、演じる三人がいて、舞台監督がいて、そうやって初めてできあがります。なので、僕はいつもひとりひとりが最大限のよさを出せるようにということを意識しなければなりません。これが、ヤノベさんくらいのアーティストだとぜんぜん心配ない。こちらが全く考えもしないことを提案してくるんです。
intervew_img_yanobe.jpgヤノベケンジ氏(以下、ヤノベ)
舞台の基本となる4つの部屋という設定があって、最初の脚本では4つの掘建て小屋が並んでいる設定だったんですが、それでは面白くないなと思って。それで、巨大な目玉のような4つのカプセル状の部屋を提案したら、小池さんに「これ、おもしろいですね」と言っていただけたんです。あ、これ本当に自由にしていいんだなとわかりました。             ※図01〜02参照
intervew_img_kikh.jpg小池
いやいや、これ実は、最初の案じゃないんです。ヤノベさん、その前の提案で、舞台上を埋め尽くすようなに巨大な球体をつくろうとしていて。僕が、「これ何日間で仕込むんですか」と。予算的にもものすごい大変だし。それで、この第二案を見てほっとしたんですよね。
intervew_img_yanobe.jpgヤノベ
第一案めは結構ハードルの高い案を出したんですよ。どういう反応するかなと思って。そしたら、「それは予算的にどうかな」と言われたので「結構現実的なこと考えるんだな」と思いましたね(笑)。
intervew_img_kikh.jpg小池
結局、もの作りの楽しさってそういうものですよね。いろんな外国の連中も含めて、なんで一緒にやるのかというと、自分の中に無いアイデアをキャッチすることで、自分自身のアイデアも変えていかなくちゃいけない。でもそれが面白ければ、面白い方向に行く。さっき、ヤノベさんが「刺し違えても」っていってましたけど、実際にそれだけの真剣勝負ができますよね。そのあたりの迫力がものすごいなと。

f0165435_15484938.jpg図01

200810_07_35_f0165435_154957.jpg図02

展覧会並みの舞台美術

intervew_img_yanobe.jpgヤノベ
じつは、この舞台のプロジェクトが始まったときに、小池さんに、学生に向けたワークショップをしてもらったんですよ。ぼくも、恥ずかしながらこれに参加してみて、小池さんのお芝居の作り方を体験したんですね。

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intervew_img_yanobe.jpgヤノベ
はじめてパパ・タラフマラの舞台をみたときに、どうやってこの人たちがこんなに踊れて、一つの芝居をつくれるのかがわからなかったんですよ。でも、ワークショップに参加してみて、小池さんが役者ひとりひとりの持っているものをうまく引き出しながら、タクトを振るように演奏しておられるということがわかりました。ならば、自分も美術をつくる立場として、自分の持っているものを役者の方達と接続しながら、バランスをとって行けばいい。そのルールさえわかっていれば、うまくいくんだろうなと感じました。
intervew_img_kikh.jpg小池
舞台に立つわけじゃないのに、「自分もやってみると体感できる」って言うんです。美術家が、そういう発想をするのということに驚きました。
そもそも、ヤノベさんはアトムスーツをつくってチェルノブイリに入っていくような方ですから。身体によって体験して、それによって何かを得ていくということをしているので、作り出すオブジェも非常にリアルなんですよね。きれいなだけじゃなく、生々しい強さを持っていますよね。
intervew_img_yanobe.jpgヤノベ
僕自身、自らの生い立ちから経験したものと作品をシンクロさせて制作をしています。子供の頃、未来世界を描いた大阪万国博覧会の会場跡地、つまり「未来」の廃墟を見て過ごしていたんですね。これが出発点になって、「未来を生き抜くためのサヴァイヴァル」をテーマに作品を続けてきました。
小池さんから舞台のお話を受けたときは、これは僕が今までやってきた作品の流れや展開とは全然違うんじゃないかと。それなら、これをつくる行為自体が、僕の人生における大きな意味を持つストーリーにしなくちゃならない。だから、ワークショップ自体も体験したかったんです。
intervew_img_yanobe.jpgヤノベ
小池さんも、僕が自分の世界観を反映しやすいモチーフを脚本の中に入れてくださった。自分はさらに、それに上書きをして、能動的に自分の人生として仕事を取り入れていかなければならないという気持があったんですよね。
だから、京都造形大学の舞台で最初にゲネプロを観たときはね、正直、涙が出てきました。芝居を見てるとこう、なにか自分がシンクロしているような気がして。まるで、自分の人生がその芝居の中で上演されたり、その芝居が上演されることで自分の人生が出来上がっていったりするような気がしました。これが、小池さんとの仕事に大きな意味を感じた瞬間だったんです。
intervew_img_kikh.jpg小池
僕自身は、ジョナサン・スゥイフトって考えたときに、すぐにヤノベさんが思い浮かんだのです。幼児人形どうのこうのっていうのより、本人が子供のときにちょっとネジが歪んだというか、あまりまともな子供時代を送っていないようなイメージで。実際そうでないと、解体娼婦やほかのオブジェのようなものも、なかなか創れないと思うんです。              ※図03〜04参照

yanobe_img.jpg図03

20110803_0003パパタラ美術館.jpg図04

極限状態で制作した「高級解体娼婦」

intervew_img_kikh.jpg小池
ヤノベさん自身はものすごく社会的なんですよ。なにもあんな大きな赤ん坊をつくっているからといって社会性がないわけじゃなくて、むしろものすごく社会と密接に結びついている。
僕はといえば、時間制・身体性・空間性というのは、やっぱりこの国を動かしているし、かつ、世界って言うのもそういうバランスでもって動かされているんではないかと考えてきました。だから、舞台をやるということは社会にとっても大きな意味を持つんではないかと思っています。今回の私たち自身の解散に関しても、社会的にどんなことを発言していったらいいのかという、自分なりに考えた結果でもあるんですよね。これから社会とどういう関係性を結んでいくのかということが、大きなテーマとなっていますよね。
intervew_img_yanobe.jpgヤノベ
今回の解散には、やはり、そういう意味があるってことですよね。
intervew_img_kikh.jpg小池
やっぱり、公的な場では話しにくいですよね。カンパニー抱え込んでしまっていると、あまり変なこと言えないじゃないですか。強いことも言いにくいし。
intervew_img_yanobe.jpgヤノベ
やっぱり、そういう足かせってあったんですね。そういう風には見えてなかったですけどね。そういうのそっちのけで、ガンガンやっているようなイメージでした。
intervew_img_kikh.jpg小池
ガンガンやってるように見えてるかもしれないんですけれど、自分の中では制限しているんですよ。
intervew_img_yanobe.jpgヤノベ
でも、解散しても芝居をベースには活動を続けられるんですよね。映画とか、いかがですか?
intervew_img_kikh.jpg小池
まあ、芝居が中心となっていくでしょうね。今後は個人のプロジェクトとしてやっていくと思います。映画ももちろんやりたいとは思っていますが・・・。まあでも、もうちょっと考えますよ。解散も、今年の3月の震災があって、4月に急に決めたばかりですから。
今回の解散において、震災の存在は大きかったですね。これで変わらなかったら日本でやっていてもしょうがないと思っています。3年間は日本でがんばろうと思っているんですけれどね。それでもだめだったら、海外に行くしかないと思ってます。