sland伊藤悠さん&小池博史によるアートトーク レポート
7月25日、流山で7月30日から開催されてる「パパ・タラフマラ ファイナル美術館」の特別企画としてアーツ千代田3331に拠点を置きつつ全国4カ所でスペースを展開されているislandのisland ATRIUM(柏市)にてisland代表伊藤悠さんと小池博史によるアートトークを行いました!
今回のトークイベントは、解散発表を受け、パ パ・タラフマラの30年間の活動と30年を経て感じる日本と世界のアートシーンについてお話させて頂くこととなりました。
前半はこれまでの過去作品の映像を用いて、これまでのパパ・タラフマラ生み出してきた作品を紹介、制作意図なども小池から説明されました。
小池 |
(過去のタラフマラの作品を)だいたい映してみたのですが、まあもともとここでいうと、最初に百年の孤独というのがあって、そこにどれだけのっかっていったのかというのが、自分にとっての目標でしたから、まあそれを一度2005年に一度達成して、それで一度やめてもよかったんですけど、まだまだ広がる可能性が舞台ってあるんだと思っていて、それでまあ続けてはきたんですね。
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伊藤悠氏(以下、伊藤) |
今回解散という決断をされたのはどういうタイミングだったのですか?
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小池 |
そうですね。ちょうど2012年の3月で解散すると。一番大きな理由というのは、やっぱりこの間の震災というのはとっても大きな理由としてあって、やっぱりもうちょっとその、日本だとなかなかこういう作品をやっていても、特にそうなんですけど、どうも評価されないんです日本では。ひとつは評価されない。評価されないというのはいい意味でも悪い意味でもあると思うんですけど、いい意味でというのは、いろんな意味で境界線に立ちたいと思ってきた。ですから更にいうと、そういう中でありきたりな評価を受けたくない、という気持ちはもちろんありましてね。ただ一方で、結局何をやってもほとんど反応ないという、まあ本当に生きにくい、自分たちに引き寄せてみるとそう。ただ、一方、じゃあどういう作品がよくなってきたかというと、なんかもう自己矛盾を起こしているみたいな、もう自分たちは行き場がないんだよ、っていうことを一生けん命やってきているものの方がよくなってきちゃってる。これはもうどうしようもないな、っていう。こんなところでやっててもしょうがないんじゃないかっていうのが、とても大きいですね。
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伊藤 |
ああ、他のものをみてて。
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小池 |
ええ。
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伊藤 |
日本でやっていくのはやはり難しいですか?
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小池 |
難しいっていうより、発言しなきゃだめだろうっていう。やはり作品を今まで作ってきて、作品でもって語れればいいと思ってきたんですけど、作品じゃどうも語りきれないんだと。
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伊藤 |
お話をうかがっていて、新しい言語をどういう風に身体的というか、空間につくっていくかっていうのを大事にされているのかなーと思ったんですけど、それを理解というか文法の部分で理解できるっていうのが少ないのかな、って感じましたね。
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小池 |
文法で理解、っていうよりは、まずジャンルっていうのがすごく強いんですよね。面白いのは、実はパパタラフマラのアンケートを見ると、とってもおもしろいのは、実は舞台芸術ファンは2割くらいしかいない。じゃあ残りは何かって言うと、映画が2割、美術が2割、音楽2割、っていう風になっていくわけですよ。そうなってくると、実際それは望んだ事なんですが、望んだ事なんだけれども、ただやっぱりどっかからも一方で、外されていくっていう問題はありますよね。っていうことはどういうことか。頭自体変えないとだめなんだよ。つまり観客が何を求めているか、以上に、何をこちら側は求めさせていくのか。っていうことをきちんと語らないと、ちょっとダメなのかな、と思ったのはそうですね。
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伊藤 |
それを語る手段として、今までの演劇カンパニーっていうやりかたじゃないやりかたを、探していくということですか?
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小池 |
というより、カンパニー持ってると、自由に語れないんですよ。
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伊藤 |
うん、うん。
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小池 |
難しいんです。やっぱりカンパニーってどうしても足かせにもなりますから、それよりもある程度自由に語るためには、カンパニーっていう枠を外したほうがいいんじゃないか。
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伊藤 |
ひとりの小池さんとして語っていく、ということを大切にしたい・・・
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小池 |
そうですね。
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伊藤 |
じゃあ今回は、語るという場として、ふりかえっていただいて、本当にひとりの人生だけじゃなくて、社会の変化自体も内包してみてきたような気がするんですけど・・・
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小池 |
ですからまあ、今年ね、15本くらいDVDだそうかなととも思ってますし、なおかつ本も、2・3冊くらいは出したいと思ってますし。やっぱりいろんな意味で言語で語っていかないと、人に伝わんない。
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伊藤 |
そうですね。いかに残していくかっていうことが、すごく大事になってきますよね。今までも体験してきて、体験の場をつくってきた30年だったと思うんですけど。
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小池 |
うん。ただね、やっぱり90年代半ばまではまだよかったと思ってるんですよ。90年代の半ばまでというのは、実は新しいものに対して、どういう風に獲得していくかっていう意志がね、みんな強かったと思うんですね。でこれが90年代半ばくらいから、とっても保守化していった。
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伊藤 |
日本の危機って、さっきおっしゃってたことですか?
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小池 |
うん。とっても保守化していってしまった。でそれが過去5年くらいで、もう急激に保守化していった感じはしますね。でその、なんかこう、結果じゃないんだけど、そのなんか頂点に達してるような時に、うわもう駄目だと思った、その時にたまったま地震があった。で原発の問題が起きた。これやっぱりこのままじゃ駄目だ。って思ったっていうのは、大きな引き金になりましたね。
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伊藤 |
今考え直さなきゃいけない時期なんですね。私もそんな感じがします。地震が起こる直前のことを思いかえしてみると、ほんとに何か、いろんなものがいっぱいいっぱいになって、いろんなものが過多だったな、って思う。今だって電力に関しても、都内銀座とか暗いと思っても、それで全然いけたはずなのに、それで足りてなかった状態になっていたことが、麻痺してたのかな、と思ったりして、考え直す時期がきたのかな、と思います。
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小池 |
もうちょっと早く何とかしてほしい、と思いますけど、でもじゃあ地震後の政治の状況をみててもそうですけど、どーもやっぱり、駄目だと思いますね。何がダメかというと根幹的な問題だと、僕は思ってるんですよ。で根幹の問題って何かっていうと、やっぱりからだの問題。つまりからだっていうのは何かっていうと、感性に結び付きますから、そのからだと感性の問題っていうのは最も大きい。でそこに何かしらのきっかけを与える。あるいは、方向性で、導くような動きというのを、何かとれないかな。とは思ってるんですね。
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伊藤 |
うーん、もっとなんか個人的なやり方で伝えることもできるのかな、って。今日実際にお会いして、お話しして、言葉もやっぱりからだを使って伝えるって思うんですけど、それがすごく身近に感じられて。今まではもしかしたら大きな舞台があって、で、そこに大勢の人がおしかけて、伝えるようなやりかたも有効だと。それで感じられる身体があったかもしれないけれど、今は多分情報に慣れてしまっている人たちがいて、もっと密で直接的なやり方の方がいいのかな、と思いますね。
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