profile_谷川俊太郎


パパ・タラフマラの舞台を見ていると、そこで繰り広げられる多彩な身体の動き、声、音、言葉、光、物体などすべてが、まず一人の人間の脳髄から生まれてきていることに驚くのですが、同時にその脳髄が決して孤立したものではなく、古今東西の他の無数の脳髄ともネットワーク化していることにも気づきます。そしてまた脳髄が身体によって生かされていることを喜んでいるのだということも分かってきます。そこではいかなるクリシェの媒介もなしに、すべてがすべてのメタファーとして成り立っていて、混沌すら秩序のメタファーであり、無意味すら意味のメタファーなのだと感じさせられるのです。

詩人